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紀元二千六百年、幻のオリンピック(2)

「日本の皆様、お聞きください、この歓声。初出場の満州国の入場です。
場内の観客は総立ちで選手団を迎えます。」
紀元二千六百年記念行事のため六月に来日していた満州国皇帝溥儀は、昭和天皇の後ろの玉座に座っていた。天皇が促すと皇帝溥儀は立ち上がり、観衆に手を振った。
「今から八年前に建国宣言した独立国が五色旗を掲げ堂々の入場です。潮ゆたけき玄界灘を渡り、憧れの兄の国、日本に思いをはせるのは桜花でしょうか、はたまた、富士の山でしょうか。満州からは関東軍の精鋭による馬術競技と射撃に期待が高まります。馬術といえば、次に入場して参りました満州国の隣国、モンゴルです。満州国との小競り合いが続いておりますが、大亜細亜の一員であることには違いがありません。スポーツマンシップにのっとり、仲良く行進を続けます。」
「さあ、各国の入場行進も終盤です。この大選手団を街頭テレビをご覧の皆様はご覧頂けますでしょうか?アメリカ合衆国であります。陸上、水泳、球技に国威発揚を見せつける大国、アメリカであります。人種の坩堝、白人黒人を問わず体躯すぐれた選手を派遣して来る国力。
快速、短距離は向かうところ敵無し。走り幅跳びまで世界新記録で制した黒い弾丸。ジェシー・オーエンスはまたまた世界記録を塗り替えるのでしょうか?」

正義凛(りん)たる旗の下 明朗アジヤうち建てん
力と意氣を示せ今 紀元は二千六百年
あゝ彌榮(いやさか)の日はのぼる


「大国アメリカからソヴィエト連邦と大選手団が続きます。出場が危ぶまれておりましたソ連。しかし、昨日の敵は今日の友であります。ノモンハンでの小競り合いを互いに水に流して潔いソ連の行進であります。正義凛たる日本は、明朗アジアの旗手として、ソ連も暖かく受け入れる懐の深さを見せねばなりません。」

最後に入場した日本人選手団に場内のボルテージは最高潮に達した。
「いよいよ大日本帝国選手団の入場であります。厳しい試練に耐え抜き、今堂々と胸を張って歩く帝国の精鋭男女。アジアで初めて開く世紀の祭典。東京オリンピック。選手団の顔ぶれを見てみましょう。
ベルリンで金メダルを取った前畑が日の丸を掲げての入場行進です。あの「前畑ガンバレ」の放送で日本じゅうを熱狂させた旧姓前畑、兵藤秀子です。三段跳びの田島直人の顔も見えます。そして競泳男子800m自由形リレーではご存知、遊佐、杉浦、田口、新井の四名が並んで行進しております。陸上選手に目を移しますと、マラソンで帝国へ貢献した朝鮮出身の孫基禎も健在です。
公開競技ながら、日本の国技たる柔道も協議種目になり陸軍の猛者たちが腕を撫しています。
ああ、巨人の沢村栄治がいました!これも公開競技となりました野球です。職業野球人ながら出場が認められた沢村栄治です。慶応大学の別当もいます。産学協同とでも言いましょうか、神宮球場でのベーブルース率いる米軍との対決が見ものです。」

出場国選手団による入場行進が終わり、聖火が到着致します。果たして最終ランナーは誰でしょうか?会場に入ってきた最終ランナーは誰でしょうか?しっかりとした足取りで聖火を掲げて聖火台へ向かいトラックを走ります。おお、織田でしょうか?そうです。織田幹雄であります。聴取者諸君は覚えておいででありましょうか?アムステルダムの三段跳びで日本人初のオリンピック金メダリストとなりました、あの織田幹雄であります。今、聖火台へ駆け上がります。そして燃えさかる聖火を点しました。」

会場の皆様、街頭テレビジョンをご覧の皆様、そしてラジオをお聴きの皆様、只今より畏れ多くも天皇陛下の開会の詔を拝します。皆様、頭をお下げください。

会場の観客席が一斉に静まり、観客の身体を折る波が雪崩の様に観客席を覆った。前回のドイツ・ベルリン大会では、総統ヒトラーへのナチス式敬礼が会場を覆った。観客は直立不動で手を前に掲げた。手のひらが隆起し会場にうねった波を引き起こした。ここ東京では、皆一様に白い夏服に黒い頭をした日本人観客は体を折り、白い観客席が黒い色に埋め尽くされた。

軍礼服の天皇陛下の唇が動いた。

「朕はここに第十二回オリンピック東京大会の開会を宣言する。」

静まり返る競技場に、天皇の開会宣言の玉音が響いた。天皇の肉声が全国民に初めて届けられた瞬間であった。